「コンディション」の語源よく耳にする「コンディション(condition)」という言葉。日本語では「状態」や「調子」「体調」と訳されることは知られていても、語源についてはご存じない方も案外多いのではないでしょうか。調べてみると、もともとは「合意」を意味するラテン語の「condicio」が由来だそうです。ちなみに「condicio」は、con(ともに)+dicio(言う/話す)が組み合わされた単語です。いわば、「話し合う」ことがコンディションの語源ということです。さて本記事では、コンディションの語源を起点にしながら、その意味するところをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。「ともに話す」ことでコンディションを整える「話し合う」という言葉からは「誰と誰が?」という次なる問いが連想されます。それに対しては、いくつかの組み合わせが考えられるでしょう。例えば、スポーツの現場においては、「自分」と「トレーナー」、または「自分」と「指導者」というのが、分かりやすい組み合わせかもしれません。ひとつ、例を紹介させてください。私、ビオリア代表の眞里谷は、学生時代にやり投に打ち込んでいました。当時、2週に1度のペースでトレーナー(整体の先生)のもとへ通っていました。試合前には毎週足を運ぶほど、常日頃からトレーナーに身体の状態を診てもらっていました。あるとき、「右の股関節が左側よりも開いているね」という指摘がありました。たしかに、やり投は身体を右側に開く姿勢をとります。これは一例ですが、当時はトレーナーとの会話が、自分の身体の状態や、ケアすべきポイントを理解する術でした。現在はスマートフォンで撮影をするなり、工夫すれば簡単に動作の確認をできますが、自分の身体の見るべきポイントを理解していなければ本当の意味での「確認」は難しいはずです。その意味でも他者との対話の意味は大きいでしょう。また、身体面だけでなくメンタル面においても、他者の存在の重要性は変わりません。特に指導者にはすぐに見透かされます。私も練習に気持ちが入らないときや精神的に浮ついているときは、指導者から指摘を受けました。そのとき初めて、メンタルの状態に気づかされることもありました。自分自身のことは案外分からないものです。だから、客観的な視点を持つ他者と「ともに話す」ことによって、コンディションの把握や改善は促進されます。トレーナーだけでなく、栄養士などの存在もその一例と言えるでしょう。自分自身との「話し合い」は可能だが難しいもちろん、身体の声を丁寧に聴くことで、自分自身との「話し合い」も不可能なことではありません。私は、現役引退後にコンディショニングにまつわる知識を得ることで、自分自身の心身を観察する力を高めました。過去には、持病の治療薬が原因でコンディションが悪化していることに気づいて治療法を変えた結果、状態が改善したという経験もあり、自分の身体との対話の大切さを身をもって感じています。ただし、自身との「話し合い」は簡単なことではありません。実際、現役時代の私は、上手にそれができなかったために、怪我を減らせず、望むパフォーマンスも発揮しきれませんでした。特に若い世代においては、自分ひとりで今の状態を正確に把握することはなかなか難しいでしょう。そのため、コンディション二ングにおいて「ともに話せる」存在の重要性は、大人世代よりも相対的に高くなると言えるのかもしれません。ビオリアはこういう存在になりたいビオリアはチームや個人の資質、あるいは努力の成果を、最大限に引き出すことができる存在になりたいと考えています。そこに到達するために開く扉のひとつが「コンディション」と言えるのかもしれません。コンディショニングには、最先端の学術的な知識も用いますが、それだけでは片手落ちだと私たちは考えています。心の底からアスリートや子どもたちのことを想う気持ちが一方でなければ、本当の意味でのサポートはできないからです。私たちは、スポーツに真剣に向き合った経験を持ち、スポーツの現場を知っているからこそ、提供できるものがあると信じています。コンディションの語源である「話し合う」という行為。良質な「話し合い」が果たせる存在であり、アスリートに寄り添うパートナーになるべく、知識と経験、そして想いを起点にスポーツで人生が豊かになる瞬間にこれからも立ち会っていきたいと思います。